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万葉集「梅花の歌」序文(現代語訳も)『令和』の由来


新元号「令和」の由来は、万葉集の「梅花の歌」の序文、

「初春のれいげつにして、気く風やはらぎ」

からとられました。

では、この「梅花の歌序文」には一体何が書かれているのでしょうか?

このページでは、梅花の歌の概要と、序文の全文・日本語訳についてまとめました。

参考万葉集入門万葉集総覧/佐佐木信綱. 万葉集(現代語訳付)

万葉集「梅花の歌」とは

「梅花の歌」の概要

「梅花の歌」は、万葉集第五巻に収録されている815番目から846番目までの32首の歌のこと。

「梅花の歌三十二首」とも呼ばれます。

読みやすいように送りがながふられていますが、実際はすべて漢字で書かれた漢文表記です。

「梅花の歌」が詠まれた場所や時間は?

天平2年(西暦730年)旧暦の正月(2月中旬頃)、当時太宰府長官だった大伴旅人の邸宅で開かれた梅を見る宴で、そこに集まった32人が梅にまつわる歌を詠みました。

三十二首の歌は、32人が4グループに分かれて8首ずつ順に詠んだものであり、各々円座で回し詠みしたものとなっています。

当時、梅は中国からきたばかりの珍しい植物で、大陸に近い大宰府はこうした新しい植物や文化がいち早く入ってくる場所でした。

「梅花の歌」の序文の作者

「梅花の歌三十二首」という表題の後に序文があり、その後に歌が続きます。

序文は漢詩風の一文となっており、書き手は不明で、大伴旅人、山上憶良、麻田連陽春、など諸説あります。

「梅花の歌」序文:全文

梅花の歌三十二首 あわせて序

 

天平二年の正月の十三日に帥老そちのおきないへあつまりて、宴会をひらく。時に、初春の令月れいげつにして、気く風やはらぎ、梅は鏡前けいぜんひらき、らん珮後はいごかうくゆらす。しかのみにあらず、あしたの嶺に雲移り、松はうすものを掛けてきぬがさかたぶけ、ゆうへくきに霧結び、鳥はうすものぢらえて林にまとふ。庭には新蝶しんてふ舞ひ、空には故雁こがん帰る。ここに、あめやねにしつちしきゐにし、ひざちかづさかづきを飛ばす。げんを一室のうちに忘れ、えり煙霞えんかの外に開く。淡然たんぜん自らゆるし、快然くわいぜん自ら足る。もし翰苑かんゑんにあらずは、何をもちてかこころべむ。詩に落梅らくばいへんしるす、古今それ何ぞことならむ。よろしく園梅ゑんばいして、いささかに短詠たんえいを成すべ 

「梅花の歌」序文:現代語訳

天平二年正月十三日、 大宰帥だざいのそち(大宰府長官)の大伴旅人の邸宅に集まって宴会を開いた。

時は初春のよい月で、気候はよく風はなごやかに、梅はあたかも鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。

そればかりではなく、明け方の嶺は雲を往き交わせ、松の枝は薄絹のような雲を掛けて、きぬがさの枝を傾けたようであり、 夕方の山の洞には霧が立ちこめ、鳥は鳥網のような薄霧に封じ込められて林の中に迷っている。

庭には新たにに生れ出た蝶が舞い、 空には年を越した雁が帰ってゆく。

この庭に、天を蓋にし、地を座席として宴楽し、互いに 膝を近づけて盃を取りかわす。

興に乗じてはいうべき言葉をも忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあい、外景を眺めて打ち解け、心静かにとらわれるところなく、快くそれぞれがら満ち足りている。

もし文章によらないなら、どのようにして心を表現しよう。

中国にも多くの落梅の詩がある。

いにしへと今とで何の違いがあろうか。我々もよろしく 園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。

「梅花の歌」ゆかりの地は福岡県太宰府市

梅花の歌が詠われた宴を「梅花の宴」と呼びます。

先にも説明したように、この梅花の宴は大伴旅人が太宰府長官をしていた頃、彼の邸宅で開かれました。

その邸宅があった場所は、現在の太宰府市にある「坂本八幡宮」という神社です。

坂本八幡宮出典:4travel.jp

また、大伴旅人が長官を務めた「大宰府政庁跡」や、梅花の宴を再現したジオラマのある「大宰府展示館」などがあります。

このほかにも太宰府市には、大伴旅人や万葉集にまつわるものがたくさんあります。

太宰府市は新元号「令和」ゆかりの地として今大注目の観光地です。

万葉集の文庫を片手に、太宰府天満宮を中心にぎゅっと見どころが凝縮している太宰府市に出かけてはみてはいかがでしょう?