「天気の子」を神話・民俗学的に考察してみた。感想、名前の由来や「君の名は。」との関係。

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バビ
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ごきげんよう。ブログを書きながらアニメを見るアニオタのバビです。

「君の名は。」を大ヒットさせた新海誠監督の最新作「天気の子」を、公開日の朝イチで観てきました。

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天気の子:感想

夏、少年は走らなくてはならない。

少年は冒険をし、少女と出会い、運命に引き離され、もう一度出会うために走らなくてはならない。

少年は大人になるために通過儀礼を必要とする。

アムロがガンダムで戦いジャブローを目指したように、シンジがエヴァで次々に現れる使途と戦ったように、滝が三葉が死ぬ運命を変えるために糸守を探したように。

少年は冒険に出かけ、困難を乗り越えて成長して大人にならなくてはならない。


「天気の子」もこの王道のプロットどおりの映画だったと思う。

正直、「君の名は。」というあれだけの名作の次だったので、全く期待してなかったんだけど、普通に面白かった。

特に大人は須賀に感情移入してグっとくる人が多いんじゃないかな。


作中での大人は、何かを諦め、誰かに責任を押し付け、自分の感情を殺して世間的な常識の型に収まった、ある種の「悪」として描かれている。

須賀と夏美は、そうあるべき行為と、本来したいことの気持ちとの狭間で鬱屈した感情を抱いていると感じた。

じめじめとした雨のような感情だ。

そんな彼らの心を晴らしたのは、帆高の真っ直ぐで純粋な陽菜への思いだったんだろう。

そういう意味では、帆高は人の心を晴れやかにする晴れ男として描かれていたのかもしれない。


廃ビルで帆高を大人の論理で止めようとする須賀は、むしろそれを振り払って欲しそうにも見えた。

夏美は何度か須賀と帆高が似ていると言っていたが、須賀自身も帆高に昔の自分を重ねていて、だからこそ、帆高が高井刑事に拘束されたとき、

「お前がそいつに触るんじゃねぇ」

と、自分の心に触れられたように感じて怒ったんだと思う。

徹頭徹尾、高井刑事が汚い大人の代表のような扱いなのには同情するけどw


新海映画はいつもそうだけど、今回も東京という街が本当に美しく描かれていた。

それを見るだけでも価値のある映画だと思う。

前作に引き続きのRADWIMPSの曲とも合っていた。

「君の名は。」と同じでRADWIMPSの曲の間に日常のシーンがばーっと流れていく疾走感がたまらん。

もうね、毎回これでいいと思う。

音楽はRADWIMPSで、東京の風景がキレイで、少年と少女が出会って不思議なことが起こる話が見たい。

それだけで十分面白いもん。


君の名は。からのカメオ出演はやりすぎかなと思った。

てっしーとさやかだけで十分だったんじゃないかな。



あと、花澤香菜が今回も出てないのに出てるのは笑ったw

もう次回作もどっかに出して欲しい。


天気と陽菜が繋がっているなら、 陽菜の気分が天気に影響を与えているとも思った。

雨が続いていたのは、母親が死んで不安になっていたからで、晴れになるのは帆高や凪と楽しくしているとき。

家にいられなくなって街を彷徨っているときは雪が降り、警官に怒れば雷が落ちる。

だから東京の3年間の雨も、帆高に会えない、東京という場所に閉じ込められているという気持ちから降り続いているのかも。

とすると、帆高に会えたことでもしかしたら雨は上がるのかもとか考えてしまう。


最後、大人たちが自分のせいだって思う必要ないって言ってるのに、やっぱり自分たちが世界のカタチを変えたことを忘れないでいようと決意するのは良かった。

君の名は。では、世界を変えて運命を選択したのに、そのことを覚えていられなかったから、それとは別の答えなのかなーと。


あと、本田翼の演技は思ったより気にならなかった。

「君の想像どおりだよ」

ではやっぱり笑っちゃったけどね。


たぶん「君の名は。」と比べられてどうとか言われるんだと思うけど、十分面白い作品だった。

私は「君の名は。」よりも新海監督らしさのある結末だったように思う。

あんまり何も考えずに見たら普通に面白いと思う。


新宿で観たんだけど、最近ずっと雨で今日も朝から雨だったから、作中と現実の状況が似てるなーと思ってたら、終わった後外出てめちゃくちゃ晴れてたからびっくりした。

晴れ女が晴れさせてくれたのかもなぁって。

天気の子:考察

ここからはちょっと民俗学とか日本神話なんかの観点からちょっと考察してみます。

日本における天気の神と「君の名は。」の関係

「天気の神」とはいいますが、古来神に祈るのは「晴れ」ではなくて「雨」。

なので、天気の神は雨の神「雨神」を意味します。

日本における雨神は二柱いて、男神の「多伎都比古命(タキツヒコ)」と女神の「弥都波能売神(ミヅハノメ)

そう、どちらも「君の名は。」に登場した「滝」と「三葉」の名前のモデルとなった神様なんです。

ここに「天気の子」と「君の名」は。との関連性を見出すことができます。

名前の由来

森嶋帆高

「穂高見命(ほたかみのみこと)」ではないかと思われます。

長野県の奥穂高岳に降臨して安曇野周辺を開拓したとされる神で、海の神でもあり、名前のとおり稲穂の神様でもあります。

穂高見命と帆高を結びつけるものはありませんが、稲穂の神といえば稲荷。

序盤で占い師のババア(野沢雅子)の天気の神のひとつは稲荷であり男であるとのセリフから、彼にもそうした特別性があったのではと考えさせられます。(後述)

天野陽菜

そのままなのでたぶん「天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)」でしょう。

「天穂日命(あめのほひのみこと)」が一般的です。

天孫降臨に先立って葦原中国へ派遣されたましたが、 大国主命に心酔してそれに仕え、3年間使命を放棄した神様です。

「ホヒ」を「火日」の意味として太陽神とする説があります。

まさに天気の神ということです。

陽菜がアメノホヒであるとすると、物語全体ととして国譲り神話に近い印象を受けるのも頷けます。

須賀圭介

須賀は作中で最も重要な役割を持つキャラクターでしたが、それを意味するかのように、名前の由来にも意味がありそうです。

おそらく「須賀」の由来は、「君の名は。」の終盤でも登場する「須賀神社」からきています。

四谷総鎮守とは別ですが、群馬県沼田市にある須賀神社の祭神が「穂高見命」 。

帆高を庇護してくれたのが須賀であることに意味があったと読み取れます。

天が本当に選んだのは帆高ではないか?

気象神社の宮司が、天気は「天の気分」と言っていたように、天気と陽菜が繋がってしまったことで陽菜の気分で天気が変わるようになりました。

母が死に弟とやっていかなければならない15歳の少女の気持ちは、長い雨をもたらします。

そこへ呼ばれたのが人の気持ちを晴らすことができる帆高です。

彼の住む島に雲の隙間から差し込む陽光は、東京へと彼を導きます。

彼は天に導かれ、陽菜と婚姻するために東京へやってきました。

東京に入る直前、雨に打たれ喜ぶ帆高。

これは「禊の雨」といって、神様の歓迎を表すサインです。

天気の子は、「選択」の物語ですが、天が選択したのは、実は陽菜ではなく、帆高だったのではないでしょうか?

天(雨)の巫女である陽菜は、一度空の世界(高天原)へ上がったことで、神の代理的な役割を担います。

そしてもう一度高天原に陽菜を上げて、それを追って帆高が天へ来たことで、婚姻が成立したのかなと。

海に沈んだ東京からやり直すという点では、「国生み」にも似ていると感じますね。

雨による東京の浄化

神事における雨は穢れを払う意味があって、良いものとされています。

そもそも陽菜が祈って人柱にならなければ、東京は雨に沈んでいく運命だったと考えると、実際には世界を「変えた」のではなく、「変えなかった」とするのが正しいようにも思えます。

作中で東京(そこに住む大人)は、怖くて穢れたものとして描かれており、3年降り続く雨はそんな東京を浄化するためのもともいえるのではないでしょうか。

陽菜が地上にいれば雨が降り、天上に上がれば晴れるのであれば、 陽菜は逆に雨女です。

そうすると占い師の言う、雨女が女であるという話とも繋がります。

ラストシーンで陽菜がもう一度天に祈り、晴れ間が見えたのは帆高が来ることを知っていて、陽菜の気分が晴れやかになったことの描写ではないでしょうか。

彼女の気分が晴れることで、東京に降り続いた雨はついに止むことになるのかもしれません。

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