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ごきげんようバビです。
劇場にも観に行った新海誠監督の「君の名は。」のブルーレイを先日購入しました。
はじめてDVDではなく、ブルーレイを買いました!
改めて見直したらこれはこういうことなんじゃね?
という考察をいくつか思いついたのでメモ書き程度に書いてみたいと思います。
ネタバレも含みますので、まだご覧になっていない方は見てから読んでくださいね。
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「君の名は。」考察|「むすび」の意味
おばあちゃんがやたらと口にする「むすび」という言葉。
「結び」という漢字を想像しますし、実際その意味でも使われていますが、これは、日本神道における観念で、
産霊、産巣日、産日、産魂
といった漢字があてられます。
簡単にいえば「むすび」とは、天地万物の生成を意味します。
「むす(産)」は「うむす(産むす)」の「う」が取れたものとされ、自然に発生するといった意味がある。「苔生す(こけむす)」の「生す」も同根である。「ひ(霊)」は霊的・神秘的な働きのことである。神道においては、万物は「むすひ」の働きによって生じ、発展すると考える。
出典:Wikipedia
万物が「むすび」によって生じ発展するのであれば、おばあちゃんがやたらと「むすび」という言葉を使ったこともうなずけます。
「君の名は。」考察|ティアマト彗星と神楽舞
ティアマトとは
作中冒頭から登場する「ティアマト彗星」。
「ティアマト」とは、メソポタミア神話における原初の海の女神のことで、その姿は「大洪水を起こす竜」やウミヘビの姿で表されています。
海や水に関する神様が、古来から竜=蛇がその象徴とされるのは全世界共通。
川の流れの姿と竜や蛇のうねりを重ねてそのように信仰されていると言われています。
ティアマト彗星はおよそ1200年周期で地球に最接近しています。
つまり、1200年前の最接近時に落ちた欠片によって糸守湖が生まれ、2400年前の隕石で御神体のあるクレーターが生まれたものでしょう。
御神体
1200年前の隕石によって湖が生まれ、豊富な水源が確保できたことは、糸守集落の発展に大きく寄与したはず。
そう考えると、彗星は落下による災害をもたらす荒魂(あらみたま)であると同時に、恵みをもたらす和魂(にきみたま)として信仰の対象となっていったと考えられます。
となると、おそらく御神体は彗星の欠片なのではないでしょうか。
神楽舞
宮水神社の神楽舞では、竜がとぐろを巻いた姿の装飾に、赤い細長い布のついた鈴を手に、三葉と四葉が踊っています。
作中に登場する「繭五郎の大火」によってその意味自体は消失しているため不明とされています。
たまたま姉妹だったから2人で踊っているというよりは、巫女は以前から2人いて、それぞれ過去2度の彗星落下を象徴しているのではないかと推察しました。
「君の名は。」考察|かたわれ時と境界
かたわれ時
物語の序盤で三葉が古典の授業を受けているシーン。
この映画のテーマのすべてが詰まっています。
「たそがれ時」=「黄昏時」
と書き、「黄昏」は古くは「たそかれ」と言い、漢字で書くと「誰そ彼」、つまりは「誰ですかあなたは」とたずねる頃合いとして、日没直後を意味します。
また、対になる表現として、「彼は誰時(かわたれどき)」という、夜明け前を表す言葉があります。
「誰そ彼」も「彼は誰」も元々は夜明け前・日没後の薄明帯を区別せず呼んだと推測されています。
生徒の一人が、糸守町では「誰そ彼時」を「カタワレ時」と呼んでいると発言。
(ちなみに教えているユキちゃん先生は、新海監督の前作「言の葉の庭」の雪野先生だそうです。)
「カワタレ(彼は誰)時」であったものが、かつて割れた彗星の片割れが落ちてきたことの恐怖の記憶から「カタワレ時」に変化したのではないでしょうか。
黄昏時は「逢魔が時」とも言い、これは端的に言うと、「この世あらざるものと出会う時」のことを差します。
昼と夜、現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境界の時間であるため、黄昏時は、現世の住人である私たち生者と、幽世の住人である死者とが同時に存在できる時間帯となるのです。
現世と幽世の境界
仏教用語では現世と幽世を彼岸と此岸という名前で呼んでいます。
この彼岸と此岸の境界というのは、時間的な境界だけでなく、場所(空間)的な境界においても適用されます。
分かりやすく言えば川の向こうとこちら側、
三葉と入れ替わった瀧が口噛み酒を納めに行くシーンで、小川を越えて行きますが、あれは彼岸と此岸の境界である三途の川を象徴しています。
ちなみに千と千尋の神隠しで千が渡った川も同じです。
御神体のあるクレーターの淵も同様に彼岸と此岸の境界線上。
カタワレ時のこの場所は、時間的にも空間的にも両方の境界線上にあるため、生者である瀧と死者である三葉とが出会うことができたとも考えられます。
それを象徴するように、二人か邂逅している間、直前まで見えていた山の下の糸守町の風景は雲海に覆われ、そこが現世ではないことを表しています。
禊の雨とおむすび
瀧が御神体の場所に行く際に雨が降りますが、 これは、「禊(みそぎ)の雨」といって、神様が喜んで迎えてくれている証です。
口嚙み酒を納めたのが瀧であるため、その瀧が戻ってきたことを御神体が歓迎しているということでしょうか。
あるいは三葉を含めた糸守の人々を救う存在として歓待しているのかもしれません。
雨の中、大きな岩の下でおにぎりを食べる瀧。
おにぎりはおむすび、つまり「お結び」です。
御神体の大岩の下では同じく米からできたヨモツヘグイである酒を飲み、ここでは現世の食物であるおむすびを食べるという対比が描かれています。
(ヨモツヘグイについては後述)
「君の名は。」考察|二人の邂逅の謎
入れ替わりの発動条件
宮水家の人間は、入れ替わりの能力を持っていて、少女の時期に時間を超えて別の誰かと入れ替わります。
おばあちゃんの発言から察するに、その体験を具体的には覚えていられないようです。
アナザーストーリーの小説では、四葉が自分の口噛酒を飲んで過去の宮水家の人間になります。
このことから考えると、口噛み酒を飲んだ場合、「一時的に過去の宮水家の誰かになることができる」という能力なのかもしれません。
繭五郎の大火で目的と方法の一部が失われ、不思議な力だけが残っていたため、その力が何のためにあって、どう使うのかが分からなくなっているのではないでしょうか。
アナザーストーリーで、町の住民が宮水家に従っていた過去があることからかんがみるに、宮水家の人間はかつて、力の使い方を把握しており、未来視の能力をもっと完全な形で使いこなしていたのではないかと思われます。
組紐や口噛み酒はその儀式のためのツールとしての役割があるのです。
ヨモツヘグイと三葉の黄泉がえり
また、瀧が飲んだ口噛み酒は、日本神話でいうヨモツヘグイでしょう。
ヨモツヘグイ(黄泉戸喫)とは、黄泉の国の食べ物のことで、幽世に滞在するためにはこれを食べて幽世の住人になる必要があります。
「千と千尋の神隠し」の物語冒頭で、消えかかっていた千尋がハクからもらったおにぎりを食べることで元に戻るシーンがありましたが、あれがまさにそれ。
ただし、ヨモツヘグイを食べた者は代償として現世に戻ることができなくなるとされています。
ただ、瀧が口噛み酒を飲んで入れ替わりを行った後、次に瀧の身体で目覚めるのは死後の三葉であり、それは生者でも死者でもない存在。
時間的にも空間的にも境界に当たるクレーターのふちで、生者でも死者でもない2人は時空を超えて対峙し、魂を元の身体に入れ替えたということ。
彗星の落下で死んだ記憶を持つ三葉が時間を超えてよみがえり、過去を改変することになります。
(とすると、3年前を生きていた三葉は一体どこにいってしまうのかは謎ですが・・・。)
道祖神
二人が邂逅を果たし、三葉が父のところへ説得のため向かうシーン。
山から下りてきたところに1体の道祖神が置かれています。
道祖神は村内と村外の境界、つまりは現世と幽世の境界に置かれることの多い神です。
墓地へ向かう道に置かれていたりします。
山が神域(幽世)であり、三葉がここではじめて現世へよみがえって来たことを意味しているのではないかと思われます。
↓こちらの書籍を読むと他のキャラの視点から「君の名は。」を掘り下げて理解することができるのでおすすめです。
<番外編>宮水家の能力はスタンド能力なのではないか
と、ジョジョ好きの私は思いたいです。
スタンド使いになる条件の1つに、隕石由来の矢で傷付けられることがあります。
また、第7部では「悪魔の手のひら」と呼ばれる地域に遭遇するとスタンド使いになるのですが、「悪魔の手のひら」は、かつて隕石が落ちた跡とされています。
ということは、落ちてきたティアマト彗星の欠片(たぶん御神体)に最初に触れた宮水家の人間がスタンド使いになり、それが受け継がれて、入れ替わりのスタンド能力を無意識に発動しているのではないかと・・・。
なので、御神体の近くまで行った瀧君にもスタンド能力が発動して、三葉との入れ替わりをもう一度行うことができたんだと思いたいですね。
スタンド名は「ラッドウィンプス」でどうでしょう。
まとめ
宮崎駿作品には、こうした日本神話や民俗学的要素がちりばめられています。
これらがユングのいうところの元型として集合的無意識に訴えかけてくるため、宮崎駿作品は大人も子供も面白いと感じるのではないかと私は考えています。
こうして見てみると「君の名は。」についても同様のことが言えるような気がします。
三葉の名前が日本神話に登場する「ミヅハノメ」という日本神話の神の名前からヒントを得ているそうです。
また、やたらと神社や水神に関係するワードが散りばめられているところを見ても、そうしたところを意識して作っているのかもしれません。
(このあたりの考察をはじめるとどうもこじつけが酷くなりそうなので割愛します。)
この物語はアニメの王道である「ボーイ・ミーツ・ガール」作品であると同時に、古来からのおとぎ話や神話の多くに描かれる「黄泉がえり」の物語とも読み取れます。
このあたりも空前の大ヒットの要因なのではないでしょうか。
こういったところを意識して観てみると新しい発見があって面白いですよ。
あけましておめでとう!
これ明日TVでやるんだよねー。
猫やぱさんみーよおっと!